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気がついたら年が明けていた。

 

昨年おわりに大切なひとが亡くなり、呆然としたまま生活をしている。なにをやっても意味がないような気がしており、「あけましておめでとう」ということばにすら「おめでとう」なんて思えず、ずっとひたすらに悲しいまま。悲しいのかどうかすらよくわかっていない。なにをやっても意味がなくても立って歩くことをしている。時が経てば悲しみも別のかたちになりますよと言われた。ほんとうにそうなんでしょうか。よくわかりません。

 

年末年始は九州のほうに旅に出た。身内が歩けるうちに、一緒に旅行に行ってみようと思ったからだった。

身内はもう両手が使えないのだけれど、社会のあらゆるものは「ちゃんと四肢が揃っていて自分で身体をコントロールできるひと」向けに形成されており、そうじゃなければ「特別扱い」になり「ちゃんと四肢が揃っていて自分で身体をコントロールできるひと」なら当然受けられるサービスを、いちいちすべてに「ありがとうございます、すみません」と恐縮しながら「ありがたく」受け取らなければならない。なにもわるくないのにね。

 

2022年でわたしは随分と変容したというか、以前なら身内と旅行に行こうなんて思わなかったはずだった。あんのじょう、色々諸々がこんがらがったりぶつかったりした気がするが、わたしがこうしたかったのでよしとしましょう。今年も適度にがんばります。