0121
あまりにも寒い。今朝はすこし雪が降った。
仕事を抜け出して本屋へ行った。限界だったので仕方がない。引っ越すんだから、これ以上、本を増やしてはいけないよ?わかってるよね?と自分に言い聞かせていたけれど、客のひとりが山盛りの本を抱えてレジへ向かうのをみて、いいぞ!やったれ!いぇいいぇいという気持ちになり私もついつい一冊ほど買ってしまいました。いぇいいぇいじゃないんですよこれ以上本を増やしてはいけないんですよ?わかってなかったの?
包んで置いておきますね。
夢に死んだ人が出てきた。その人は去年のおわりになくなって、このあいだ、四十九日が終わったところだ。
数人でわいわいと喋っていて、その輪のなかにその人がいると気がついて「あっ」と思った。その人はなんでもないように楽しそうにお喋りをしていて、わたしは「あの人はたぶん自分が死んだことに気がついていないんだな」とすぐに理解して、そのことを本人に伝えたほうがいいのだろうか、でも本当は本人もわかっていてわかっていないように振る舞っているだけかもしれないし、何よりなにか余計なことを言ってしまったら、あなたはここからすぐに消えてしまうんじゃないだろうかと迷って、迷いながら何も知らないふりでなりゆきに任せてしまい、夢のなかでもわたしはほんとうにずるいやつだった。何事も自分で判断したくなくて逃げてしまう。
夢の中では、なにかきらきらした食べ物をみんなで囲んで食べていたのですが、その味が甘かったということ以外はなにも思い出せない。
0116
まだ職場にいます。たすけて。
気に入っていたぬいぐるみに触れるときの、あの人の優しい手付きを思い出します。
0111
気がついたら年が明けていた。
昨年おわりに大切なひとが亡くなり、呆然としたまま生活をしている。なにをやっても意味がないような気がしており、「あけましておめでとう」ということばにすら「おめでとう」なんて思えず、ずっとひたすらに悲しいまま。悲しいのかどうかすらよくわかっていない。なにをやっても意味がなくても立って歩くことをしている。時が経てば悲しみも別のかたちになりますよと言われた。ほんとうにそうなんでしょうか。よくわかりません。
年末年始は九州のほうに旅に出た。身内が歩けるうちに、一緒に旅行に行ってみようと思ったからだった。
身内はもう両手が使えないのだけれど、社会のあらゆるものは「ちゃんと四肢が揃っていて自分で身体をコントロールできるひと」向けに形成されており、そうじゃなければ「特別扱い」になり「ちゃんと四肢が揃っていて自分で身体をコントロールできるひと」なら当然受けられるサービスを、いちいちすべてに「ありがとうございます、すみません」と恐縮しながら「ありがたく」受け取らなければならない。なにもわるくないのにね。
2022年でわたしは随分と変容したというか、以前なら身内と旅行に行こうなんて思わなかったはずだった。あんのじょう、色々諸々がこんがらがったりぶつかったりした気がするが、わたしがこうしたかったのでよしとしましょう。今年も適度にがんばります。