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節分。
職場近くの神社で節分祭をやっていて、屋台が並んでいた。祭があると、文化としての「食」は継承されつつどんどん進化していくので、祭の習慣がなくなった地域はあまり「食」が発展しないという話をきいたことがある。

まだパワーオブザドッグの話をするのですか?と思われるかもしれませんが、ずっとパワーオブザドッグという映画のことを考えてしまっており生活に支障をきたしている。

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2月やん。まじか。

あいかわらず『パワー・オブ・ザ・ドッグ』という映画のことを考えている。原作を読みたいのにいま読む時間がない。
「触れる」描写が良かったなとか、ロープというモチーフの使い方が良かったなとか、思い出すと同時に繰り返し観ている。配信されているから見たい放題で延々に観てしまいこれはだめですね。


東郷清丸さんの歌に励まされている。

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もう途端に、だめだ〜〜という気持ち。
すべてが中途半端でとっちらかっている。

このブログはいまのところどこにもリンクを貼っていなくて、ひたすら独り言を積み上げてしまっている場所なのですが、アクセスがちらほらあって驚いている。こんにちは。来て頂いてありがとうございます。

一時期、仕事関係ふくめて10くらいのTwitterアカウントを管理していた。いまは4〜5くらいのアカウントを消したり新しく作ったりしながらジャンルに合わせて使い分けている。
SNSは「ジャンル」で分けると楽だなとmixiを使ってみて気がついた。mixiに公開範囲を決められる機能ができた際、「友達まで公開」「友達の友達まで公開」……と設定するその設定自体が億劫で、いったい何のためにSNSをしているのか、私は誰に何を伝えたり喋ったりしたいのかを考えた結果、いまのやり方が一番しんどくないなという結論になった。話題や目的にあわせてサービスやアカウントを使い分ける方法が私には合っている。
Twitterで「他のアカウントも教えてください」とたまにお声掛け頂くのだけれど、教えたことはない。(ご縁があったら、とお返事している。これは本当に縁というか、ぜんぜん違うジャンルなのに同じフォロワーさんに巡り合うときがあり不思議)
Twitterで呟く際のルールが自分のなかにあり、基本的にそこから大きく逸脱しないようにしている。Twitterはコラージュ、スクラップブック……というイメージで、盆栽を剪定する感覚に近いのかもしれない。盆栽を剪定したことはないのですが。無意識に整えているなと思うときがある。Twitterはコミュニケーションのツールとして使っている人も多いのかなと想像していて、他のひとがどんなモチベーションで(モチベーションというと大げさで、つまりはどんなことを考えながら)使っているのかたいへん興味がある。
   

幼い頃のメロディが今もまだ忘られぬ

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もうあと1日で1月が終わる。

ずっとパワーオブザドッグのことを考えてしまっている。角川から出ている原作を読んでいる。読みながら、私の頭のなかのフィルはやっぱりカンバーバッチの姿をしていて、映画を観る前に読んだらどんな印象だったのだろうと考える。
解説が面白い。また感想を書きますね。
角川とは別に早川からも原作が出ていてこちらは訳者も違っているけれど刊行のタイミングはあまり変わらず何故なのかよくわからないが読めるものがいっぱいあるのは嬉しいことだなと思って早川のほうも図書館で予約をした。読み比べたい。解説も違うかもしれない。たのしみ。

実は体調の関係でしばらく休みをもらっていたのだけれど、2月から再び頑張るしかなく(生活するにはお金を稼がなければならない)不安です。

今日はニコタッチの「エトランジェ」という曲を思い出して、ずっと聴いていた。
 
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わたしを遠く離れないでください。悩みが近づき、助ける者がないのです。

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『パワー・オブ・ザ・ドッグ』のことをずっと考えてしまっている。「犬の力」とは何だったんだろう。「犬」とは誰なんだろう。犬の力に怯えて「それを取り除いてください」と祈っているのは。

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出演者ふたりのインタビュー。

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なぜかトムホとベネさん、ふたりの対談。なぜ。ありがたい。スパイダーマンとドクターストレンジですね。

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ビハインドシーン。

ビハインドシーンやインタビューは探せばまだたくさんありそう。とりあえず原作を取り寄せました。
 

わが魂を剣から解き放ちたまえ わが愛を犬の力から解き放ちたまえ

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』を観ました。

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カンバーバッチ演じる牧場主でカウボーイのフィルは、弟ジョージの妻となった女性ローズとその連れ子ピーターにたいへん冷たく接する。ぎこちない家族の関係性のなかで、あることをきっかけにバランスが崩れていく、というような話だった。

舞台は1920年代のモンタナ州で、砂と山、光と川と獣たちと死、アルコールと土の匂い、とても美しい映像だった。監督はジェーン・カンピオン。私はこの監督の『ブライト・スター』という映画が大好きでそちらも光と花々が華やかなぶん死の気配も濃くてコントラストが凄まじかった。

映像はもちろん音の描写もたくみで、フィルが歩くと、ブーツの金具が音を立てる。彼の気配にローズが怯える。
そしてピーターが櫛をはじく神経質な音も、彼の弱さではなく静かな威嚇のようだった。

監督はおそらく「フィル」という男をたいへん愛してしまっているのでは、と思った。彼の知性(教養があること、彼の書く文字の美しさなど)をさりげなく配置していたし、何よりめちゃくちゃ「かなしい生き物」のように撮っており、でもこれはもしかしたら私がフィルのことをどこかで、かなしい生き物だな……という目で観てしまっていたからかもしれない。しかし、かなしいからといって彼の攻撃性が肯定されるわけではない。

家に居場所がないというのは、ローズにとっては逃げ場がなく、彼女を「病んでいる」と言うまわりの状況が病んでいる。
ローズの人生を考えると、彼女の「障害物」とは何なのか。わたしはフィルよりもジョージのほうがローズにとっては厄介な存在なのではと感じた。

ピーターを演じるコディ・スミット=マクフィー、どこかでみたことがあるなと思っていたらコングレス未来学会議の!息子役だ。
コングレスでも彼は母親の執着を受け止める存在だったけれど、パワーオブザドッグに於いても母親と息子の依存関係がどんどん目立っていき、フィルはそれを嫌悪しているゆえの加速(ピーターを母親から開放してやらねばと、彼のメンターになろうとする)がすごかった。

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お花は心のエネルギーだよ!と綺麗なお花をもらったのだが、そばに「生きているもの」の気配があるのが無理すぎて玄関に飾っている。帰宅して扉を開けると目の前に花があり「ただいま」と挨拶をする生活。